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高橋さんが『渕一博―その人とコンピュータサイエンス』という本を陰影ある書き方でAIに興味ある人は必読と紹介されていたので、読んでみた。(都立図書館で借りたのだった)とは言っても全部は読んでない。後半、渕の論文集になるのだがたとえば『逆対称声道形の推定と多帯域沪波特性近似』(軽く眺めるとおもしろそうなことが書いてあるけど)とか読む気にはならない。
というわけで興味津々でまともに読んだのは林晋の『情報技術の思想家』という中途半端(とならざるを得ないということが書かれていて、それは生きていて利害関係のある人間のバイアスのかかった証言や反証が出てくることが可能な程度の期間しか過ぎていないものは、歴史として文献ベースで客観的に評価することが難しい壁があるという理由で、なるほどWikipediaが本人による編集を拒むのと同じ理屈であろうし、真実ではなく事実という歴史の見方からはなるほど正しいと判断できる)な人物伝と第5世代コンピュータプロジェクト評価の章(渕一博の思想を発展させたもの)だった。
読んでいて、先日読んだUnixの考古学と対比してしまうのはしょうがないだろう。
Unix考古学 Truth of the Legend(藤田 昭人)
プロジェクトの主体となった巨大家電メーカーのGEのコンピュータ部門とともにMulticsそのものはどこかへ行ってしまったが、途中でビジネス的にうまみがないので手を引いたAT&Tの研究所(BTL)の出向組が引き上げて冷や飯を食わされている暇にあかせてサブセットっぽいもの(=Unix)を作りそれをネタに出向組のビジネス的なプロジェクトとして認めさせると同時にインストール行脚をしながら他の連中のアイディアを取り入れて発展させていくというのが、Unixが成立するまでの流れだった。GEの技術者はMulticsもろともどこかへ行ってしまったが、途中で手を引いたBTLのトンプソンやらリッチーやらはその名前とともにUnixとしてMulticsの成果が残った。
・家電に基盤をおくメーカーは国家プロジェクトの成果を世界に還元できなかった(意図的なのかそれが当然なのかは別の話)
・途中で手を引いたといっても技術的においしいところ、設計としておいしいところ(TSSとか)は継承された
・その他いろいろ
第5世代コンピュータプロジェクトは歴史的にちょうどAIブームが終焉するところにかちあったこと、巨大コンピュータからダウンサイジングするところにかちあったことが問題だったらしい。
でも、読んでいると淵が作りたかったのは違うものだったように(まあ評伝だから悪くは書かないだろうけど、それにしてもそれまでの経歴からいっても)見える。
たとえば、Multics->Unixについては、Multicsのような巨大OSを作るという発想が途中で時代遅れとなって……とか完成したブツを入れたハードウェアでビジネスする主体が……というような問題はあったにしろ、明らかにUnixという成果があった。
つまり、問題は日本の通産省から金をもらってプロジェクトに参加したメーカーにBTLが存在せずに、全部が全部GEだったことこそが問題であり失敗だったということではなかろうか。
ちょっと後付けで考えてみれば、そのころVLSIでMPUという発想はあった。そこに、第5世代の並列の発想を持ち込んでマルチコアMPUとか考えた連中がいたらどうなっていただろうか?(そりゃ当時のプロセス技術だからろくなものにはならないだろう。しかし、25年前からパソコンがマルチプロセッサ当然として動いていたら、20年前には日本のソフトハウスからErlangのような言語が生まれていたっておかしくはない。(あまり良い例が出せない)
雁首ならべてどこにもトンプソンもリッチーも本当にいなかったのだろうか? (そんなこたないだろう)
とすれば、それは何が原因か? というところにこそ問題点があるのではなかろうか。
シグマだって考えてみればそうだ。そこから撤退したあとに、本当はこんなのがほしかったんだよなとジグマ(今作った名前)が生まれたのであればプロジェクトそのものが失敗だからといっても全体として考えれば何の問題でもない。でも、何も残っていない(あるいは単に表に出なかっただけなのかもしれない。でも表に出なければそれはなかったことと同じだ)。
失敗の本質は、だから第5世代コンピュータ(述語論理的プログラミング)がビジネスにならなかったことではなく、そのプロジェクトに参加した人たちが世の中に目に見えて還元できるものを持ち帰らなかったことにある(でも、個々の参加企業にはあるのかもしれないが繰り返しになるが表に出なければ、あるいは関連性を示されなければそれまでだ)。
(家電屋さんについてはわからないでもない。実際GEもRCAも何かを残したようには見えない。いろいろビジネス的な壁が大きそうだということもわかる。アカデミズムと無縁な業界はせいぜい特許出願くらいでしかソフト(ウェアには限らない)なものは公表とかしないものだ。しかし通信屋さんや研究所や大学とかはどうなんだろう?)
ジェズイットを見習え |
第5世代コンピュータの功績の話ですが、自然言語処理の分野でいえばおおくの若手研究者を育てたことがおおきい、というのは私の恩師がよくいっていたことです。<br><br>あと、形態素解析器の ChaSen や MeCab でつかわれている IPA 辞書のライセンスにはながらく ICOT の名前が入っていました。ほかにもそんな感じでひっそり遺産がのこされていることもあるのかもしれません。
おお、なるほど。やはり単に失敗プロジェクトで切り捨てられるものではないのですね!
「若手の研究者を育てる」は絶対的に渕博士の(真の)ミッションだと推測できるから、そう教える方がいるということはまさに成果ですね。
Σの方も全然まったく何も残さなかったかというと、そういうわけでもなくて、X11の国際化とか、Wnnとかのフリーソフト化には、実は貢献していたという話が:<br>https://twitter.com/hutai/status/405549824579096576<br>https://twitter.com/hutai/status/692198873075417089<br>これは、Σ本部が賢かったというよりは、NTT偉いって経緯みたいではありますが。<br>X には、日本の電機メーカーのコードが正式な形でMITライセンスで沢山入っていて、1990年頃としては結構頑張ってる印象があるんですが、こういった経緯があったとは…<br>あと、メーカーのUNIX系技術者を育てたという側面もあったでしょうね…<br>(まあΣについては、当初の方針でやってた方がずっといい結果になった気はしていますが…)
なんかいろいろ良い話を聞けた感がある!