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先日は失敗したのでやり直し。
やはり素晴らしい。
ペレチャッコはオペラ歌手として、つまり歌声、歌いまわし、所作、動き、立ち居振る舞い、表情、どれをとっても実に美しい。正直新国立劇場クラスではない(が、まだ若手の部類なので呼べたのだろう)。
以前子供がタワレコでCD買ってきたときは、まあうまいが、圧倒的というほど大したことないし、顔はおっかないしというわあけで、それほどぴんと来てなかったのだが、実際に舞台で動き回ると実に素晴らしい存在感がある。
それにしても冒頭の岩に打ち付ける波がどう見ても立体的で、これがビデオの投影とは信じがたい(今回は8列目なのではっきり舞台が見える)。もっとも、紗幕への投影は、先日は途中まで舞台を透過させているのかと思ったが、近くだと映像だとわかる(結構、目が粗い)。
2幕の演出意図がはっきりとわかって興味深かった。
ルチアは結婚を承諾した時点で完全におかしくなっているという解釈なのだ。
そのため花嫁衣裳(なのだろう。民族衣装っぽい)に着替えるときに、侍女がいるにも関わらず、ノルマンノによって乱暴に服を脱がされてドレスの中に押し込められる。
それまでの乗馬服のトラウザーと腹バンドによりむしろ男性的な強い意思の持ち主として描かれていたルチアが精神的に蹂躙されることを示す。
結婚証書に対する署名は無理やり公証人に手を動かされて行われる。
すべてはルチアの心象風景として描かれる。
エドガルドの乱入も(実際の脚本上は3幕での兄貴との会話から、事実乱入したわけなのだが)ルチアの空想に過ぎない。もっとも、あの状況でエドガルドが無傷でレイブンウッド城から逃げられることがおかしいので、その解釈は悪くない。
その心象風景の中で、アルトゥーロは槍を手にしてエドガルドに襲い掛かる。
最後にルチアは結婚証書を丸めて放り投げ、槍を手に取ろうとして侍女に押しとどめられる。
3幕の原因はここに作られる。それで、狂乱の場に登場するときに、槍にアルトゥーロの首を刺して登場してくることになる。アルトゥーロは槍を使ってエドガルドに害をなす敵としてルチアに認定され、槍によって成敗される運命となった。
すると、エドガルドがそれまでのスコットランド風のスカートから、3場ではイングランド風になっているのは、決闘を前に着替えていると考えるよりも、兄貴との対話のシーンを含めて、別れた時の、つまり1幕の泉の場でのエドガルドの姿としてルチアには見えているという演出なのだろう。フランスから帰国したエドガルドは、すでにスコットランドの民族衣装にはない。
狂乱の場は3部構成になっていて、最初のパートでは泉が出現する。ルチアが完全に向こう側に行ってしまっていることがそれで示される。
2部では兄貴が戻って来て第3者視点に戻る。そこでルチアが兄貴をエドガルドと取り違えたり、あからさまに違うものを見ていることが示される。
3部で再びルチアの視線に戻りエドガルドを死へと誘う。
この作品も17世紀のスコットランドを舞台にした物語(というかイギリスのお話)なのだから、舞台での見た目通りの20代の大人の話ではない。
多分、ルチア14歳、兄貴15歳、エドガルドもまた14歳、分別ぶったライモンドがせいぜい21歳程度なわけだ。
もし大人の話であればどうだっただろう。話は簡単で、兄貴は少しばかり自尊心を損なうことになるだろうが、エドガルドの最初の提案通り兄貴のところに結婚の申し込みに行くことにルチアは賛成すれば良い。兄貴はエドガルド(フランスへの密使をつとめる程度には信頼されているのだから次期政権では中枢に入るのは間違いない)によって政権交代に伴う粛清から難を逃れることができる。そういう計算ができる程度には先が読めるはずだ。
もちろんアルトゥーロはおもしろくないだろうが、こちらはもともと多少は政治がわかっているはずなのでどうにでもなる。
すべては丸く収まる。
それにしても、1幕の2曲のいずれでもルチンスキーの息がどこまでも続くのには驚いた。
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