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野口さんがお勧めしていたので観に行った。
少なくともヨーヨーマのCD買って持っているくらいにはピアソラは好きな作曲家だ。
でも、1曲目がタイトルにもなっているリベルタンゴだとは知らなかった(ていうか全部同じ曲に聞こえていた。映画観てどこで区別するかわかった気はするが)。
映画は、息子の思い出話と娘によるインタビューテープ(伝記執筆のために録ったもの)、放送テープ(だと思う)、家族8mmのモンタージュで、おそらく作家のダニエル・ローゼンフェルドは、ヴィムヴェンダースに影響を受けていなければ嘘だ。悪くない。
最初に息子が語る。父親が心臓病で危うくなったときに、作曲に専念したらどうか? と聞いた。すると父はこういった。おれは演奏が好きだ。やめてたまるか。趣味の釣りはどうだ? どちらも同じだ。釣りもバンドネオンも背筋と腕の力だ。バンドネオンは10Kgある。だからどちらもやるんだ。
鮫を釣ることから、原題は、the year of the sharkで、もしかすると作家はthe year of the horseのことも少しは考えたのかも知れない。
父は右脚が細く左脚が太く、それを指摘するとパンチの嵐が待っていた。
そんな子供を持つと親は大変だ。2人目をあきらめた。1歳になると7回手術をし、6歳のときにニューヨークへ移住した。
その間にモンタージュが入る。1960年代初頭に、タンゴの破壊者と呼ばれたことについてのインタビュー。
ニューヨークへの移住は1920年代だろう。
父親(ここでの目線はアストルピアソルになるので最初に出てきた男にとっては祖父となる)はマフィアに頼んで床屋をやる。店の裏には賭場がある。母親は風呂で密造酒を作り、荷台に乗せてカバーをかけてその上におれが腰かける。楽しそうな家族の遠出に見せかけて警察をやり過ごす。
そうやって稼いだ金で父親がユダヤ街で買ったバンドネオンを渡す。毎晩演奏させる、週に2回先生のところに行く。他にボクシングのジムにも通う。殴られる前に殴れ、と教わり、それを人生訓とする。後のほうでは隣の家のピアニストにピアノを習い、それが後後まで影響となる。
太平洋戦争か欧州戦争かの前くらいにアルゼンチンへ戻る。
なんか、20世紀の歴史そのものだ。
朝から晩までバンドネオンの練習をする。
タンゴバンドの演奏会を毎週欠かさず観に行く。ある日、演奏が終わると自分を売り込みに行き13人目のメンバーとなり、さらによりメジャーバンドに移りブエノスアイレスに出る。父親は喜び、母親は泣く。
新しい音を求める。ダンスのためのタンゴに興味が失っていく。
五重奏団を結成し、弦に不協和音を求める。ヒッチコックの鳥みたいだ。が、この音楽は好きだ。
1950年代になるとロックアンドロールとロッカビリーが出てきてタンゴにとって代わられる。
ピアソル家はそういうものだが、ニューヨークへ移住する。息子をジュリアード音楽院に入れようとするが金がない。プエルトリコへツアーへ行っているときに父親が死ぬ(だったかな?)。
そこで傑作をものする。借金してアルゼンチンへ戻る。
作曲コンクールで上位に入り、フランスへの(おそらく給付金ありの)音楽留学生となり、そこで作曲を学ぶ。先生にピアソルとはなんだ? と聞かれバンドネオンに戻る。
アルゼンチンに戻りタンゴの破壊者として君臨するが、守旧派に拒まれてしまう。ヨーロッパへ渡りイタリアを根拠地とするのが1970年代。息子も呼び寄せて電子楽器8重奏楽団を結成する。
1970年代後半に潮目が変わってアルゼンチンへ戻り五重奏団になる。息子と音楽性の違いで決裂する。
アルゼンチンは軍政が布かれ、娘は自由の闘士となりメキシコへ亡命する。
1980年代は和解の時代だ。以前拒んだ娘の伝記執筆への協力に応えてテープを残す。息子とも和解する。でも鮫釣りには1960年代初頭に1度行ったきりだ。
バンドネオンという楽器は不思議だ。律が決まっているのか(鍵盤楽器である以上律を外すのは不可能なのだろう)どうあってもおれにはタンゴに聞こえる。本人はリズムだけはタンゴだが他は違うと語っているのだが。
真剣に音楽のことばかりやっている人間固有の美しいドラマがある。
映画としても良いものだった。
映画の後にジュンク堂へ行き、バラード短編集の3巻と折りたため北京を購入。
折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5036)(郝 景芳)
表紙の色をわざわざ黒に染めているので岩波新書のアナキズムを買おうかと思ったが、ぱらぱら眺め、おれの知識に特に付け加えるものもなさそうなうえに、文体がアナキストならではのべらんめえで(どうして、この主義の連中はこうなんだろう? 伝統なんだが、石川三四郎みたいな書き方だってあるんだからもっと落ち着いた文体のほうが良いと思うんだがなぁ。まして竹中-平岡の時代じゃないんだから)うんざりしてやめる。昭和中期まではアナキスムの対象は正統左翼からはルンプロとして捨てられている連中だから親しみやすい文体としてありだとは思うが、21世紀になってこれはあり得ないだろう(まるで伊藤野枝のやつみたいだと思ったら同じ著者だった。もうこの方法論で進むつもりなんだろうが、作り過ぎていてどうも違うんだよなぁ。これがブレディみかこだともう少し普通なんだが)。
アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ (岩波新書)(栗原 康)
さらに松濤美術館へ行って廃墟展を見る。
あ、これ知っていると思ったらユベールロベールで、そもそもおれは廃墟美術が好きなのだ。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージがまとまってあって実に楽しいのだが、それよりも3点驚異があった。
・明治初年: それまでまったく廃墟芸術というものに感心を持つことが無かった日本人(と書いた瞬間に、まて餓鬼草子や餓鬼草子の荒廃した都や羅生門(芥川の元ネタ)は廃墟芸術ではないか?)に、廃墟のデッサンの模写を教えたお雇いイタリア美術教師のおそらく影響でイタリアへ留学して廃墟を書いた画家たち
・1930年代を中心とした廃墟画: 暖色系で描かれた抽象的な廃墟
・21世紀の画家: 松濤美術館だからだろうが、元田久治、野又穣の渋谷の未来画群、大岩オスカールという作家の動物園(切り取られたトンネルの向こうの光も好きだが、動物園が特に良い。それにしても自分の記憶の信濃町高架下の風景に重なるせいで(本当は北千住らしいが、画は観たものの風景でもあるのだからおれにとっては信濃町だ)衝撃度が高い)。
行って良かった。
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