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日々の破片

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2020-08-05

_ 大井町のイトーヨーカドー

CATSを観に大井町に行って、早く着いたのでイトーヨーカドーの31でアイスクリームを食ったが、それにしても今となっては古臭い味だなぁと思う。

それはそれとして、店の脇に客からの質問とそれに対する店からの回答の掲示板があって、興味深く読んでいて3つを除いて気分が悪くなる。

3つのうち1つは、レジでいちいちヨーカドーアプリはお持ちか? と聞かれるが意味がさっぱりわからない。あればお得なら欲しいがどこに置いてあるのか? という問い合わせで、これはわかる。回答も、スマホをお持ちならサービスカウンターに来てもらえれば入れるよ、とあって、まあそんなものだろう。

1つは、服屋を増やせというぶっきらぼうなやつで、回答も、無理、というあっさりしたもの。

最後の1つは、KFCとリサイクルショップが欲しいというやつで、回答はいろいろ計画があって今の状態なんだけど検討するよというもの。質問に合わせて回答の丁寧さが異なるのがすごくおもしろい。

残りはすべて、店員に対する不平不満で、幾つかはあーそれは本当だったら(そしていかにもありそうだから)不快だよねー、なのだが、残りはすべて難癖のレベルだ。私服がどうしたとか、座っているのがどうしたとか、くそむしレベルの難癖に気分が本気で悪くなる。

子供が、良く引っ越し先を探すときに、~を見れば住みたいかどうかわかるという記事とかあるけど、駅前スーパーのお問い合わせ掲示板も使えそうだねーと言い出して、さらに、苦情しか無いっておかしかないか? 少なくとも幾つか感謝系といつもありがとうございます回答があるはずじゃん。もしそういう投書が無いのなら、文句垂れしか住んでない良い街は楽しい楽しいブータレブーの町だし、もしそういう投書もあるのに掲示していないのならこの店の店長は、読んで不快になるようなものにしか目配りしていない間抜けで、いずれにしてもろくなものではないと高説をたまわりまくる。

結構説得力を感じたので、なるほど、おれは大井町には住まないな、と納得してしまった。

_ CATSを観る(2度目)

前回観たのは9年前(読み返すと民主党政権時代のようだ)の横浜だが、ときどき思い出すことがあるし、というよりもアラジンを観ていてなんかCATSのほうが(何かが圧倒的に違うせいで)おもしろかったのはなぜだろう? と不思議だったので大井町に観に行った。

で、一言で書けば、キャッツはアラジンとは異なり、役者の肉体の美しさが圧倒的だということだった。これはライオンキングにも通じるが、とにかく劇団四季の連中は驚くほど美しい。

ここでの美しさというのは、顔の美醜といったことではない。キャッツとライオンキングでは人間が無理矢理動物の動きを真似る(全然似ていないが、それは問題ではない)ことで生まれる、筋肉や体の動きが、異様に美しく、しかもそれが強調される点にある。あるいは、人間の筋肉の動きと真似られる獣の動きの矛盾が舞台の上で演技として止揚されることによる肉体のダイナミズムと言えばより正確な表現だ。

特にキャッツの場合は、アラジンやライオンキングと違って、物語性に欠けるので、注視点は舞台の上での所作や歌に絞られる。そのため、とりわけ役者の肉体性に注目せざるを得ない。かくして、異様なまでにエロティック(ただしまったくセクシャルではない)なショーを観ることになる。

なんだろう? たとえば天井桟敷の若松武史を最初に舞台で観たときにある種の感動を覚えたのだが、それに近いものがある。

人間は美しい。

一言で言えばそういうことだ。その再発見の感動が本質と思う。

そういえば、本国でも本邦でも興行的に失敗したらしいが映画のキャッツも、おそらく作家は舞台の上での役者の動作の美しさを念頭に置いて作ったのだろうと、風評を聞いて考える。

キャッツ (字幕版)(ジェームズ・コーデン)

それを現代的な撮影技術を駆使して作れば、それはどう転んでもエロティックホラーショー(しかもセクシャルですらない)にしか成りようはないはずだ。

結果として、映画としての文脈からただただ外れたグロテスクな見世物で、劇場で生の肉体の動きを楽しむことに親しんでいなければ、一体なにを観れば良いのか理解しがたい妙なものにしかならないだろう。とすれば、映画観客や映画評論家から良い評価を得ることは不可能なはずだ。しかも、原作のミュージカルに忠実であらんとすれば、物語は存在しないのだから、ひたすら退屈なグロテスクな光景の連続としか読みようが無い。

というわけで、映画を観るのはおれには楽しみなのだが、不幸な作品となったのだろう。

ミュージカルという舞台芸術には間違いなくお約束がある。そもそも舞台作品はだいたいにおいてそうなのだが、文章芸術と異なり、人間は見逃し、聞き逃す。しかし時間は平等に過ぎる。

そのため、複雑な物語を舞台作品に練り込むのは至難だ。

不可能と言って良い。

特に、ミュージカル(源流となったオペラもそうだが)は、歌と音楽にも重要な役割があり、逆に台詞は説明の役回りが押し付けられ、それが多いと歌が減ることになり避けるべきとなる。

前回いつキャッツを観たのか調べるために検索したら、ロックオペラモザールを観たときの記録が出てきたが、レチタティーボ対無限旋律として作品のタイプを分析していておもしろかった。

この分類だとキャッツは無限旋律の極北としているが、むしろ端的に、モダンバレエといったほうが正しい。語られる内容はあまりにもどうでも良く、振り付けのための題材に過ぎないではないか。

だから、いずれにしても通常のミュージカルの物語は極めて単純になる。たとえば、「文化服装学院で青春を謳歌している女の子が、弁護士を目指す中央大学の学生に君は弁護士の妻にはふさわしくないよと振られてしまって、悔しくて中央大学を受験して法科の学生になる。そこで一生懸命に勉強して法学院の冴えない法律おたくの青年と恋に落ち、指導教官のパワハラ(TAに対する)セクハラ(本人に対する)と戦い、辣腕弁護士として独立する(キューティーブロンド、というかこのミュージカル好き)」とか「悪辣な貧困ビジネス経営者による孤児院での虐待に耐えかねて脱走した少女が犬と一緒にルーズベルトに直訴してニューディールを勝ち取る(アニー)」とか「オーディションをして俳優を選ぶ(コーラスライン)」とかのような3段論法のような物語か、またはアラジンやライオンキングのような既に観客が知っている物語を再現する、といったことになる。

Legally Blonde - The Musical Songbook: Vocal Line with Piano Accompaniment (English Edition)(-)

(キューティーブロンドというか金髪法律屋ってオリジナルがミュージカルではなくて、オリジナルが映画なのか? とすると上で少し筋が込み入っているのは、アラジンやライオンキング側の仲間だからなのかも知れない)

ところがキャッツには物語はない。

一応フレームワークとして、ジェリクル(なんだこれ?)の夜にゴミ捨て場に集まった猫たちが大騒ぎしていると、人間がうるせぇーと靴を投げる。がそれはそれとしてネズミやゴキブリを指導するおばさん猫、はぐれ者(というか中二病だろうと子供は言う)ラムタンタガー、コソ泥夫婦猫、列車猫(この歌抜群)、恐怖猫(犬がびびって逃げ出す)、劇場ネコ(大スターと共演したことがあり、当たり役はグロウルタイガーという海賊猫)などの有名猫を順に紹介しながら、ジェリクルキャット(姥捨て山に行く候補者っぽい)が誰に決まるかを待ちわびている。決めるのは長老猫だが、悪い猫マクヴィガーに長老が誘拐されてしまう。はぐれ猫のラムタンタガーが友人の魔術師猫ミストフォリーを連れてくる。ミストフォリーは人体隠しのマジックを行う(うまくいくかわからないので、本人後ろを向いてがくぶるしている)。無事、長老が出現する。そこに爪弾きにされている年おいた娼婦猫が歌を歌う。あまりに見事な歌なのでいつもは近寄ってはなりませんと止められている子猫が飛びついてしまうし、他の猫も皆、賛辞の嵐を送る。かくして娼婦猫が月へ送られることになる。おしまい。

というのはあるのだが、まったく内容がない。元はT.S.エリオットが猫って妙なんですよと、いろんな猫について書いた文章を繋ぎ合わせて曲をつけただけなのだから物語性というのは無いのだ。あるのは、冒頭誕生した子猫がうろうろするとか(何度か娼婦猫になつこうとして、いつも引き留められる)、ラムタンタガーが妙なタイミングで妙な道具を持ち出して怒られるとか、ゴキブリ軍団が掃除をする(魔法にかけられて?)とかのエピソードだ。

ただコアとして唯一強く印象付けられるのは、狆とテリアの東から来た犬と西の犬の縄張り争いと、シャム猫軍団とグロウルタイガー(西洋猫)という、2回、形を変えて語られる東西の縄張り争いで、一体これはなんだろう?

1920年、イギリスを舞台に、薄幸の美少女と中国から仏教伝道のために渡英したが阿片漬けになってしまった中国人青年の恋を描いた「散り行く花」という映画がつくられている(グリフィスなので制作はアメリカではある)。

T.S.エリオットがキャッツの元ネタを上梓したのは1930年代だが、1920年あたりのイギリスの状況というのは、そのての黄禍論後の東洋対西洋な感覚が濃厚にあったのかも知れない。キャッツでのジェリクルナイトはそんな1920年代のロンドンに違いない。

キャッツ (ちくま文庫)(T.S. エリオット)

開演前にゴミ捨て場を見回ると、TBSの天気予報の鳥がたくさんいるので、TBSがスポンサーについているのかなと思うが、だからといって2020年の東京が舞台というわけではないのだ。

という具合に、物語はなく、ひたすら猫に扮した人間が肉体美を強調する不可思議な舞台がキャッツなのだが、やはり好きだな。

劇団四季ミュージカル『キャッツ』メモリアルエディション(通常盤)(劇団四季)


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