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妻がNetflixに入って成瀬巳喜男を見まくっていて今度は浮雲というので、一緒に見た。やっと見ることができたのだった。というか、二葉亭四迷原作かと信じ込んでいたが林芙美子だったのだな。
確か記憶によれば、80年代の後半あたりに成瀬巳喜男再評価があって、(出羽守の先駆者のような連中が)ニューヨークで日本映画といえば小津でも黒沢でも溝口でもなく成瀬巳喜男だとか言い出して、日本でも再上映があったのだが、あまりの出羽守臭さに眉に唾をつけ過ぎて見なかったのだった。ばかだなぁ。
で、今頃になって見ているわけだった。
物語は笑止千万で、最後に「花の命は短くて」が出てきたところでは爆笑してしまったが(他にもおいおいまたかよとかまたそれかとかいい加減にしろとかつっこみどころで満艦飾だが)、映画としては感銘を受けまくる。というわけで映画を堪能しまくる2時間だった。なるほど、これが成瀬巳喜男か。なるほどこれが浮雲か。確かに20世紀の最高峰なのは間違いない。
舞台は昭和20年代戦後直後。元農林省技官の富岡(森雅之。太宰治のようでもあり、髪型のせいか野性味を失った三船敏郎のようでもあり)の許を若い女性(数年前のベトナム時点で24歳に見える、22歳ですわ。それは素晴らしい。本物の年齢より高く見られるということは知性があるということだ、とか富岡はいろいろ冷笑家という設定)ゆき子(高峰秀子)が訪れる。
二人は戦時中のベトナムで浮気な関係になったのだった(パスツール研究所との話などが出て来て、なるほど仏領インドシナとはそういうものですなと思い出したり)。高峰はタイピストとして派遣されたのだった。仕事は何か?と聞かれた富岡に観光案内されたジャングル。
富岡は妻と別れる気持ちはまったくなく、材木商として一旗あげるつもりだが、まったくうまくいかない。ゆき子は、困り果てて粉をかけてきた若いアメリカ兵と3ヵ月(帰国まで)の契約を結ぶ。
一方、ゆき子の義兄の伊庭(郷里ではゆき子の寝込みを襲って以後3年間関係を持っていたというひどい話だが、よかっただろうと話す時点でまあそういう時代のそういう層のお話だというわけだが)も東京に出て来てゆき子にいろいろちょっかいをかけまくる。最終的に伊庭は新興宗教を友人とでっち上げて寝言を言って莫大な金を巻き上げるシステムを構築する(で、行き当てがなくなったゆき子を再度囲うが、ゆき子は30万円くすねて逃げるのだが、それは後の話)。伊庭は戦後うまくやった田舎実業家の雰囲気が言葉の端々に示されていて脚本(あるいは林芙美子原作)の人間観察のうまさにびびる。
心中するつもりで伊香保に宿をとるゆき子と富岡。心中するつもりというのは見ていてわかるので熱海かと思った(というように、映画は音声が潰れていて1/3程度しか聞き取れない。が、映画表現でほぼすべてが表出されているので、何言っているかわからなくても何をするつもりなのかは理解できる。ただし、錦ヶ浦が自殺の名所ということを知っているように、榛名湖が心中の名所という知識は必要で、かつ、おれは榛名湖も名所というのは知らなかった)。
そこで金が尽きた富岡の金時計を1万円で買ってくれた(元陸軍で富岡同様にインドシナに派遣されていたので意気投合)飲み屋ボルネオの主人(加東大介)の妻(岡田茉莉子)と浮気が始まる。
軒先に大根が丸干しされている(そこで群馬とわかるのかな?)。
脱衣所の着替えでそれを察するゆき子。
ゆき子は、行方をくらました富岡を探して訪ね当てる。富岡は妻が病気で倒れたために治療費で金がなくなって家を売ったりして、今はボルネオの妻(家出して東京に出てきた)の部屋に転がりこんできたのだった。
やたらと子供が映る。三輪車に乗った子供に富岡の帰宅時間を聞くゆき子。ああ妊娠したのだなとわかる。カメラは主人公の心象風景でもあるのだから、このシーケンスになってそれまでと同じような町の風景でも子供が目に留まるようにしているのはゆき子が子供を意識しているからだ。
待っている。干し柿かなぁが軒先にぶら下がる。部屋は机だけが知的で富岡はなにかベトナム時代の随筆を書いて収入を得ているのだった。
ぐだぐだしている富岡(友人の石鹸会社に雇ってもったという話をする)は子供を産んでくれとほざく。
中絶して病院のベッドに寝ているゆき子の隣のうさんくさい(お妾風のスタイル)女性が新聞を壁にしている、その新聞に、加東大介が妻を殺して、情夫は富岡という記事を見つける。
仕事をくびになり、妻が死に、ますます窮乏した富岡は伊庭に囲われて優雅に暮らしているゆき子に葬儀代として2万円を借りる。これで棺桶が買える。
というように、だらだらだらだら話は続いて、結局伊豆長岡の宿(らしいがおれにはどこだか見当がつかなかった。饅絵でもあったのかな?)での邂逅のあと、ゆき子は富岡について屋久島へ行き、そこで病死(まあ結核だろう)する。急に強い雨が降り始めたので窓を閉めようとして動いたのがさわったのだろう(そのとき女中は1日に1回の医者への葉書を出しに出ていた)。
それまで冷たくあしらうそぶりと不機嫌以外を見せなかった富岡は泣き出す。
物語は今となっては正気とは思えないが映画は違う。
たとえば最初は四畳半の真ん中半畳の小さな掘りごたつに二人で入っていたのが、伊庭に囲われて暮らす家では一回り大きい掘りごたつになる。伊庭のおかげでゆき子の金回りが良くなったことを示す「ナイロンを履いた」という下宿の娘かなの台詞。
特に印象的なのは、ゆき子の部屋を訪ねた富岡がずっと帽子をかぶっているのが、脱いだ瞬間に性欲むき出しにして、拒まれた途端にまた帽子を被って去るシーケンスと、同じくゆき子の部屋で、ビールを手酌する富岡のほうに自分のコップをゆき子が寄せるのを富岡は無視(またはまったく気づきもせずに)してビール瓶を卓上に戻してそのまま暗転するシーン。(このあたりは始まって最初の頃だからで、その後はそういう語り口が当然になるので普通に見てしまって印象には残らないし、残す必要もない)。
2つ並んでいる歯ブラシのブラシ部のでかさに妻が仰天していたしおれも(知っているから)仰天はしないが、なんで1960年代までの歯ブラシってあんなにばかでかかったのだろうかと不思議になる。技術がないから細かく作れないというのはあるだろうが、そもそも磨くということの歯周病予防効果がわかっていないので、一度に全体の1/3を磨けるように大盤振る舞いしていたということなのかな。
とにかくこの二人が歩き回る。ベトナムのジャングルから千駄ヶ谷(日共の本部近くだけにインターナショナルを歌いながらデモ隊が通り過ぎるシーンはなかなか好きだが、これが昭和30年代始めの千駄ヶ谷なのか(1955年の映画だからそんなものだろう)。
ゆき子の部屋ではカストリ、ボルネオではサントリーの角。
鹿児島の旅館の女中の言葉がまったくわからない(ので、富岡が通訳するのだが、自然とゆき子に対する念押しになっているので、全然観客のためという取ってつけた感がない)。
船をいつまでも見送る医者。
安南人の下働きの無表情。仏領インドシナと安南という言葉の並列っぷりがおもしろいと思ったが、1955年の映画だとまだインドシナ(フランスが敗走するのが1955年)であってベトナムではないからで全然当たり前だった。
籐椅子を2つ向かい合わせに置いたベランダ(どこの旅館もみな同じ)。
音楽もベトナムでベトナム(というかアジアン無国籍)スタイルの音楽が流れるのは当然として、商店街では東京ブギウギやリンゴの唄をアレンジしたものが流れるのに、二人で部屋で差し向いになると同じ無国籍スタイルの音楽を流すなど実に細かい。そういった細かさ(ベトナムと日本とそれぞれの行動をモンタージュしまくる)を中絶以後は排して二人の時間をそのまま追っかけるようにする(で、最後の最後で富岡は山へ登り、ゆき子は部屋に残る)のもうまいなぁと感嘆しまくった。
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