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日々の破片

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2024-06-27

_ 漸進的前進

先日、眼鏡をかけていて、なぜおれはコンタクトレンズを使うようになったのか? と疑問になった。

全視野がまともに見えるというメリットは大きいが、そもそも眼鏡を使っていたのだから、最初からそれを希望したわけはないだろう(むしろコンタクトにして、おお世の中はなんと広いのかと感動を覚えた記憶があるから、それは先ではない)。とすれば、何かトリガーがあったはずだがそれが思い出せない。

と考えていたわけだが、結論は出ない。どうも高校3年あたりだなという記憶が出てきたが、それにしても謎だ。

ということとは別に妻に誘われてアマプラで十二人の怒れる男を観た。なんか、名前は知っていたが観たことなかったから観たら、なるほど語り継がれているだけあって名作ですな、と言う。おれも観たことないということで観ることになったのだった。

おもしろい。シドニールメットって「社会派」というレッテルがついているのでひどくつまらなそうだと敬遠していたのだが、少なくともこの作品は無茶苦茶おもしろい。

密室で十二人のおっさん(女性がいないのは時代性なのか、それとも未だにそうなのか(さすがにそれはないだろうと願いたい)はわからん)が陪審員として招集されて青年の尊属殺人(アメリカも少なくとも1950年代は別格の殺人扱いらしいことは伺える)に有罪か無罪かを決めることになる。有罪なら即刻死刑だ。

基本、みんなさっさと帰りたいのだが、ヘンリーフォンダが疑問を口にする。どんどん疑問が大きくなってくる。一人二人と、単純に有罪と決するのは無茶だなと考えを変えていく。(最後まで有罪を主張するおっさんは、家族関係のもやもやを被疑者にぶつけているだけということがわかるので、おそらくこちらのドラマで観る人もいるだろう)

徹底的な合理主義者の眼鏡が、「合理的に説明できる」(ので、有罪と主張していた)に続けて「無罪だ」と言うところが実に良い(もっとも実際には犯人の可能性もあるので、ここでの「無罪」は疑わしくない、という意味なわけだが)。

十二人の怒れる男(ヘンリー・フォンダ)

その理由として眼鏡の跡が鼻の脇にあるという点が挙げられていて、冒頭の疑問に対する答えが出た。

夏になって、耳の付け根が眼鏡の重さに耐えられなくなって炎症を起こしたからだ。(そうそう鼻の脇に跡がついたもんだというのも思い出した)

少なくとも40年以上前、まともな矯正用の眼鏡はガラスレンズだった。近視用は度数が上がるとそれに連れて厚みを増す。最後のほうでかけていた眼鏡はフレームから前後1cm近く(は大げさとは思うが)はみ出していた。プラスチックは軽くできるがすぐ傷がつくしまったくお勧めしないと眼鏡屋に言われたのも覚えている。だからガラス一択だったわけだが、おそらくガラスの場合、屈折率を細かく変化させることは難しいのではないか?

遠近両用メガネのレンズは遠視用の場所は削り取られたように同じレンズの中に異なる円が作られていたのを見た覚えがある。

それから数十年たって、プラスチックで自由自在に屈折率を変えられるようになったのだろう。

眼鏡の一つは三種類(遠、普通、近)の多段レンズだが見た目そんな仕掛けがあるとはまったくわからんし、そもそも全然薄い。

ただでさえ軽いプラスチックで、屈折率をある程度自由に設定できるのであれば、耳の付け根に炎症を起こさせたり、鼻の脇に跡がついたり(十二人の怒れる男)するような重いレンズである必要がない。

世の中良くなるものだなぁと眼鏡を見ながら思うのだった。

_ メトの青髭公の城

サントリーホールへ、メトオーケストラ+ヤニク・ネゼセガンとガランチャとヴァンホーンの青髭公の城を観に行くという気持ちだったが(なんといってもバルトークとガランチャが好きだしセガンも好きなのだった)、実際に観ると第一部のオランダ人序曲とペレアスとメリザンド組曲(ラインスドルフ版)も圧倒的で、楽しめた。

あまりに青髭公の城に気を取られていたせいで(そもそもどれだけ好きかと言えば、ショルティのLDから、ブーレーズの新旧2枚、ヤーノシュ・フェレンチク版(LPからCDに切り替わった当初、ブーレーズ版がCD化されていなかったので買ったのだが、意外と良いもの)と手元に残っているのだけで4種類はある(ケルテス盤もあったようなそもそも無かったような)くらいだ。

が、よくよく聴いていれば、19世紀末から20世紀初めのオペラのオーケストレーション技法という側面からの一貫性を持たせたプログラムだったのだな。

というよりも、まずオーケストラの音のバランスに驚いた。

上手前列のほうにいたので第2バイオリン(驚いたことに第1と第2を向い合せる配置だったのだが、メトってそうなのか、それともこの楽曲構成だからこうしたのかわからん)の音しか聴こえないのではないかと思ったら、とんでもなくバランスが良い(もちろんホールの良さというのも大きいだろう)。

とにかくオランダ人のタンタタタタターンが繰り返されていきなりドーンと来るところの迫力でガツンとやられた。

セガンはめりはりの付け方が抜群だが、振りが(指揮棒を持っているのだが)音を引き出すのがうまいのだろう。千年王国冒頭のファウスト博士が大地の精霊を呼び出すところみたいだ(ファウスト博士のビジュアルは小澤征爾みたいだが、関係なかった)。

セガンはどんな服を着て来るのかと思ったら、ラメでキラキラして歩くと靴底が赤いのが印象的な靴が目立つが、全体には黒い詰襟っぽいおとなしい服だった。

聴いていると時々頭が揃っていなかったりもするのだが、とにかく迫力ある音作りというのだろう。それでいて木管がきれいなので雑な印象は全然ない。ペレアスとメリザンドの玄妙さとか、こんな良い曲だったのかと再発見の喜びもある。(長さ的には、オランダ人と組曲ではなくアッシャー家の崩壊というプログラムもありだろう)

ドビュッシーは実に良いなぁ(思い出したが、最初にクラシック音楽を真剣に聴いたのは、ドビュッシーの海で、あまりにおもしろかったのでクラシック音楽を聴くようになったのだった)。

青髭公の城は最初の語り(場内アナウンスを利用しているのかな?)からまじめにある。

第5の扉が開き、広大な領地が立ち現れるところ(オーケストラが実に荘重に轟く)でのガランチャのアーアーは凄かった。それにしてもこれだけのためにパイプオルガンを響かせたのかなぁ。というよりも、ホールにパイプオルガンがあるから青髭公の城を選んだのかもしれない。

城の溜息が実に大きな音で鳴るのだが、どういう楽器を使っているのか(基本、第2バイオリンと上手側だったのでガランチャと辛うじてビオラと後ろのキーボードしか見えない(キーボード奏者が見えないのはちょっと不思議)。幕間に見たハープが赤かったり、妙な管楽器が赤いのが気になった。セガンの靴底といい、赤に何か意味を持たせているのだろうか。(オーケストラを見ていて気付いたが、驚くほどビオラを使う(逆にバイオリンを使わない)曲なのだな)

それにしても物凄いものを観られた。


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