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日々の破片

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2025-08-22

_ 宿題

アッバス・キアロスタミ(おれさまが選んだ20世紀映画監督ベスト3に入る大巨人)の1989年の映画『ホームワーク』(『宿題』としたほうが邦題としては完璧ではないか?)がアマプラ無料期間中だったので妻と観た。

大巨人の映画だけに実におもしろかった!

大体観ているはずだがユーロスペースで連続上映時(にかかったはず)に見逃した一本ぽいので初見だ。

『ホームワーク』はドキュメンタリーでキアロスタミが子供の宿題を見ていて感じた疑問を調べるために、近所の小学校へ行き、宿題をしてこなかった子供にインタビューする(途中、親2人のインタビューもある)というものだが、そこはキアロスタミ、どう見ても作りに作っている。

たとえば最初の通学風景では撮影スタッフに通りすがりが、おれも映画に出たいから出させてくれと言い出し、いやこれはドキュメンタリーなんだからそれはできない、なんのドキュメンタリーなんだ、これこれこういうわけで宿題についてのドキュメンタリーだと説明する。

ドキュメンタリーではないだろ、どう考えても。

ドキュメンタリー(その場で映像に写し取る)というフレームワークを守るために、通りすがりとの対話を通して、この映画が一体なにかを観客に説明するための仕掛けだ。

明らかに20世紀最大の映画作家だけに、すべての構図が完全で、すべての役者(さすがに素人のはず)もばっちり、シナリオ(大雑把には作っているはず)はおもしろく、しかもキアロスタミらしい底意地の悪さが滲み出る傑作だった。

だらだら子供が嘘をつくのを撮影しているだけに見せかけてまったく弛緩なく、ユーモアたっぷり、しかも底意地悪く、ホームワークの矛盾を抉り出す。

それにしても、見れば見るほど、イラン革命は大成功だったと思える。

それは1974年の処女作のトラベラー(後で書く)の学校風景と比べれば一目瞭然、全体に経済と知識の底上げが見られる。

(事実、イラン革命後に就学率(小学校の!)がダダ上がりしている)

ただ、1989年の映画ということは、まだ革命後10年しか経過していないだけに、宿題に見られる矛盾と混乱も大きい。

どうも宿題で大きな問題(要はやってこない子供が多過ぎる)となっているのは、書き取りの宿題なのだ。

誰か家族のものに課題を読みあげてもらって、それを書き写す。

それだけの課題なのだが、

・母親は文盲(パーレビー時代に女性が学問するとか小学校レベルですらあり得ない)

・父親の多くも文盲(パーレビー時代に育ったわけだし)かまたは仕事(仲間との談笑タイム含む)で帰宅が遅い

・下手すると兄も文盲(革命後10年なので歳が近い兄は文盲ではないものの、さらにひどい状況だったわけで書き取りそのものが大してできない)

・姉がいればどうにかなることも多い

・年上の兄貴がいればどうにかなることもあるが、パーレビー時代の教育方法と違い過ぎて齟齬ありまくり

・などなど

家族が文盲なら、書き取りの宿題できるわけないじゃん(一応、子供たちはそれなりに工夫をしていないわけでもなさそうだが)。

ちゃんとできる子もいて、大体服が良い。要は中流上以上の家庭だと両親ともに読み書きできるから、基本母親が面倒みられるのでOKっぽい。

その他、算数について、登場する父親が算数は得意だからみてやろうとしたが、教科書の内容が全然違うから無理だったと言い出す。(多分だが、パーレビー時代の算数は加算と減算くらいしか教えなかったのではないか?)

最初に出て来る父親は一瞬出羽守? と思える、欧米では知識詰め込みではなく創造性教育をしている。一方我が国(イラン)では……と始まるが、とんでもない話だった。というのは、続けて、知識偏重といえば最も過酷なのが日本で、確かに優秀な子弟を輩出していはいるが、やはり創造性の欠如が問題となっていて、現在見直し中だと言い出すからだ。わかってるじゃん(1989年)。

で、日本はその後「ゆとり教育」に舵をきるわけだが、いずこも同じで、イランと同じく(理由と方向は異なるが)教師と周辺環境(教育産業)の問題で、本来の目的とは明後日の方向へ進んで撃沈してしまったわけだ。

で、それはそれとして、ここまで世界各国の教育について滔々とよどみなく語る素人の父親などいるはずがないから(と観ていて思うわけだが、実はイランのインテリ側はものすごい可能性も無いわけではない)、ドキュメンタリーではないとわかるわけだが、おそらく阿部進とかカバゴンとか佐藤忠男とかいうような名前の人物なのではなかろうか。

1989年のイランの小学校の問題点は、家族が基本文盲だということを、インテリたる教師が無自覚(あるいはどうにも手が出せない可能性もある)なことのようだ。

そのほか、教師に暴力を振舞われ過ぎて異常を来している子供(常にふらふら揺れ動く(のだが、歌を歌うときだけまっすぐになるから、子役の可能性があるぞ)とか、出て来る子供たちが良い味出しまくっている。

全員、「アニメと宿題、どっちが好き?」に対してすぐさま「宿題!」と答えるのは、あーアラビア語圏だなぁという感が満載でこれまたおもしろい。

というわけで、抜群におもしろかった!

あと、我が国が誇る体育会問題と同じ構造が出てきて思わず気分が悪くなったが、ある子ども(比較的優秀っぽい)との会話。

「親がきみに与える罰は?」

「殴る」

「いやかい?」

「もちろん。殴るのは最低だ」

「OK。君が大人になって子供ができて、その子が宿題をしなかったとする。どうする?」

「殴る」

「殴るのは最低じゃないのか?」

「……最低だ」

「君の子供が宿題をしなかったらどうする?」

「殴る」(ばかもの! とベルトで殴りつけ(のがデフォルトらしい)たくなるぞ)

それともう一点、出て来る子供の内、親が文盲系について

「罰として殴られるとして、ご褒美は?」

「ご褒美って何?」が圧倒的に多い。信賞必罰のうち、信賞が欠如している家庭が多いのだなぁ。

ちなみに、ご褒美が拍手という子供が2人いた(親が文盲ではない家。こんなところに教育格差)。

その他、下の階の兄が……というのがあって、「下の階って?」というところで、上の階にはその子の母親(第2夫人)、下の階には別の母親(第1夫人)とか、あーイスラム教国だったと思い当る(ある子は兄弟が自分含めて5人、姉妹が5人とか言い出して、すげぇ子だくさんと思ったが、夫人が最大4人いるのだから十二分にあり得るわけだな。と思ったら、翌日に見た『風が吹くまま』で主人公が間借りしている下の階の女性が男5人、女5人を産んだことになっていたから、1人でも十分にあり得るのかも。15歳から25歳まで毎年とかかなぁ)。

印象的なやり取り、もう1つ思い出した。

「アニメは見るの?」

「見ない」

「テレビは見ないの?」

「ニュース」

「ニュース?」

「スポーツニュースとか」

「昨日は見た?」

「見ないで宿題した」

「昨日の試合はすごかったね」

「うん、最高だった」

ホームワーク(アッバス・キアロスタミ)


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