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セーガン博士がいる。
人はなぜエセ科学に騙されるのか〈上〉 (新潮文庫)(カール セーガン)
宇宙が、ほかのなによりも想像力を刺激し、謎と神秘に満ち溢れた世界だと人々に語り続けた男だ。想像力というのは科学的真理の探究にあるという逆説的命題をきちんと語った数少ない人間でもある。
そして、今日、あまりにogijunが手放しで絶賛するので、つい買っちまった本の著者がこの系列に加わった。
アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝(スティーブ・ウォズニアック)
彼らの共通点ってなんだろうか? それは父親の存在の確かさってやつだ。なんかしら、父親から学んだことが生きている。そのため、父親の思い出について語ると長い。
セーガン博士は、確か記憶によれば、仕立て屋の息子として生まれたのだが、ちょっと両親からみると変わっているところがあったようだ。
いずれにしろ、上掲書に書かれたエピソード(うろ覚えだが)で、ある日子供のセーガンは、数をずっと数えるとどこまで到達できるのだろうかと考えたか、あるいは5000だか50000だかまで数えると、本当に、そこに数が埋まっているのだろうかと疑問に思ったかして、数を一心不乱に数え始める。それに仕事から帰ってきた父親がつきあう。母親が風呂へ入れと言い出したため、数を数えるのをやめなきゃならなくなる。子供のセーガンは悲しくなってしまう。せっかくの努力が台無しだ。「いや、おれが代わりに数えてやるよ」で、父親は風呂の中で洗ったり何やら忙しい(日本の風呂とは違うから、頭を洗ったり体を洗ったり忙しいわけだろう)セーガンに聞こえるように続きを数えてくれて、ついに5000まで到達して無事、風呂から帰還した息子に引き継いだ(あとは忘れた)。
ウォズの本を読み始めると、いきなり父親についての要領を得ない思い出話から始まる。上のセーガン博士のエピソードのように妙な印象を受ける話は特に出てこない。しかし、読むと、ああ、この父親は息子に良い影響を与えたのだな、と感じることはできる。
世の中には、親がいてさえ子は育つとか放言してふらふらしている無頼もいるし、そういう気持ちもわからなくもないが、結構な違いだ。
食わず嫌いせずに観れば良かったと思った時は、後でアーカイブでもいいから自分で観てから考えりゃいいので諦めるとして、soutaroさんが書いている視聴記がやたらと説得力がある。
で、思い出したこともあって、映像はあったほうがいいに決まっていた。たまたまそうでもない音楽が頭にあって、おかしな方向に向いてたみたいだ。
それは、一度でもバレエ音楽をCDで聴けばわかる。
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