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(このあたりに見たはずだが覚えてない)
夜中に何気なくテレビがついていて見始めたらおもしろくて、最後まで見てしまった(最初に見ていた妻は眠ってしまったがうさんごろうはそんなものだ)。
おれが知っている藤田嗣治は、戦争画をかきまくって軍部に協力しまくって戦後フランスに逃亡したろくでもないやつという(多分、戦後史共通の)認識でしかなかったが、この番組(多分、NHKではあるが映画の宣伝もかねている)では異なる視点を提供してくれた。
そもそもその戦争画も、おれの記憶では近代美術館にある、妙に薄暗く、とうてい戦意が高揚されるような代物ではなく、妙なギャップを感じたものだが、それは当然のように戦後であっても公開できる範囲の作品という選択であろうなぁと納得していたのだが、それもまったく筋違いだったようだ。
まず、美大卒業制作の自画像がしびれる。
東郷青児が、戦後にやたらとはやった三流のマリーローランサンみたいな作家だと思っていると、実はびっくりするほど鋭利な自画像を若書きしているのだが、戦前の画家というのは自画像を見てからものを言うべきなのかもなと思った(で、これで二度なので三度も四度もあるに違いない。というか、戦前の美大の卒業制作は自画像という決まりでもあったのかな)。
で、日本で適当に暮らした後、本場のパリでなくてはとパリへ行く。
ここまでは裕福な子弟だったのだが、第一次世界大戦になって日本からの送金が途絶えて極貧生活となる。
隣にはモジリアーニが住んでいるというような場所だ。
極貧なので、近所の肉屋に「ネコのえさにする」といって屑肉を買っては食べる生活を送る。
ある日肉屋が「おめぇさん、ネコ飼ってねぇじゃねぇか」と指摘される。
藤田は「ミューミュー、おれさまがネコだ」と叫ぶ。
なんか、PKディック(あれはイヌの餌だった)のエピソードのようだ。
で、何をしているかというと絵を書いている。とにかく書いている。朝から晩まで絵を書いている。
ついに、忘れたけどなんかのコンクールの特選となる。
その絵が出てくる。周囲がグレーの布。全体は白い寝台に白い裸婦。髪と脇と陰部だけが少し黒い。輪郭は黒く、肉体の重なりは薄い黒い線。日本画用の筆で輪郭を描くことと、独自の配合で作った白を使う。
これは見ただけで印象的な作品で、なるほど、確かに出世作以外の何ものにもなれない作品だ。
で、狂乱のパリへ進み、日本へ帰国し戦争画を書きまくる。
その戦争画はドラクロアなどの影響を持つという近年の指摘から、美術史の再構築をしていたようだということがわかってくる。
自分のための礼拝所をつくり死ぬ。フレスコ画の制作に身魂かたむけたせいか落成して1年後に逝去。群像の中に中年の藤田がいる。ランス。
途中ではさまる小栗の映像は、勘違いした長回しっぽくてあまり好きにはなれないが、藤田の作家史は実に印象的だった。
最後の棲家から見つかった、膨大なデッサン。わ、巨匠のデッサンだという緻密さがある。
やっぱり朝から晩まで絵をかきまくっていたのだった。
ジェズイットを見習え |
> 美大の卒業制作は自画像という決まりでもあったのかな<br><br>東京美術学校西洋画科 (いまの東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻) では卒業制作課題のひとつが自画像になっているそうです。<br><br>何年かまえにはまとめて展示するイベントがありました。<br><br>http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2007/jigazo/jigazo_ja.htm
おお、なるほどそうなんですね。疑問が解消しました。どうもありがとうございます。