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中学から高校にかけて、クラシック音楽を聴くということについて、だけではなく歴史の観方というもについても、おれが一番影響を受けたのは、柴田南雄だった(高橋悠治の影響も大きいが)。手元からは散失したが当時ビクターから出た作品集も良く聴いた。
特定の時代の作曲様式と、演奏様式の相関であるとかは、実際にレコードを買って(あるいは友人と貸し借りして)聴くことで実際に体験できる。
それは明らかだった。
後期ロマン派から無調への作曲家たちの移行と、コルトーのミスタッチというのはともかく、30年ずれて新古典様式の作曲家たちのスタイルに近づく演奏(戦後のバイロイトにおけるラテンスタイル(と呼ばれた東欧スタイル))、チャンスオペレーションや管理された偶然とそれに続く演奏の1回性に対する復権した名人芸や逆にレコードによる再再生を前提として何度聞いてもその都度に新たな発見をもたらすグールド、ミニマリスムや環境音楽に続く優美なヴィルチュオーゾたち、こういったものは全体としてどうかという見方をすべきで、個々の人々の違いで見るのではないといったことだ。
高橋悠治と違って生な政治的な発言はなかったが、その後唯物史観弁証法を学んで、根底にあるのは同じく産業要請による上部構造の変化という考え方だな、ということが見えてきた。しかしそこは重要ではなく、重要なのは、常に変化するのが当然であり、変わらないようにする努力はだめだな、という信念だった。大人は虎変する。
(というのと、カラスはカラスでフルトヴェングラーはフルトヴェングラーというのも別の話だ)
先日、twitterを眺めていたら東京文化会館のライブラリーが、柴田南雄の没後20年にからめてか、それとも別の話か覚えていないが、未読の「わが音楽 わが人生」について言及していて、そういえば、10代のおれに影響を与えた5人の筆頭といえば柴田南雄だなと思いだして読むことにした。
で、読んだ。
最初は、父方の系図と母方の系図から始まる。父方は俳人、歌人、医者の家系でこれはこれでおもしろく、一方母方のほうはそちらで明治の外交官というのはこういものですかという未知のおもしろさにあふれていた。閔妃暗殺に至るまでの日本政府の現場の自発性に任せるという責任逃れのうまさ(なるほど、ノモンハンも満州事変もこういう指示だったのだろうと髣髴させる)が唐突に読めるとは考えもしなかった(お母さんの誕生が三浦梧楼の回想録にも出てくる当時の一等書記官の娘で、そのためお祖母さんが暗殺後の騒動のために避難することになるとか)。」
それにしても日本人の名前はおもしろい。生年と印象的な名前。
1756 リト(里登)
1764 朖(あきら)
1892 維理(Willy)
1858 万長(つむなが)
1895 ナミ(別名 南美子)-余談だがおれの祖母は普段は松枝だったがどうも本名はマツだったような良くわからない不思議な名前なのだが、このナミという名前も漢字が別名というのが似ていておもしろい。明治には、女性は本名を確実に読み書きができるようにカタカナにしておくが、本当の名前として漢字の別名を用意しておくものが少なくとも一部にはあったのかもしれない。
そして本人の幼少期に移る。ここでは幼稚園(大正期)のエピソードが抜群で、それは日本の幼児教育の開祖とでもいえるらしい倉橋惣三の教育者らしい姿勢が見事だからだ。
小学生のころは病気療養のため千葉のほうに滞在したみたいだが、全裸藁を見て頑健で威勢が良いというようなことを書いている。
知らなかったが、大正末か昭和初年あたりに、暁星中学の靖国神社参拝拒否問題というのがあったらしい。カソリックの学校にそんなことを強制して断られるというようなことがあったのだな。
15年戦争中のエピソードは、いかに徴兵を逃れるかにあって、まあ、負けるとわかっていればそりゃそうだな、と思う。山田耕筰の戦中のふるまいには何か含むところはありそうだ。
敗戦の玉音放送を聞き終わって解放感に浸るところは読んでいて実に気分が良い。ここで、玉音放送は音声明瞭に聞こえたが、それと違う回想録しか目にしないのは不思議だと書いてあっておもしろい。ラジオは疎開先の隣の家のとか書いてあるから、特別に良い受信機とは思えないから、おそらく明瞭に聞こえては困るか、困ることにしたい人の声が大きいということなのだろう。
ところどころ語られていないことがある。一番大きいのは母親のことで、次がなぜ理研科学映画の仕事を長く続けるべきではないと考えたかだ。
桐朋を去る理由も同じように語られないのかと思ったら、こちらは語られていた。それにしても演奏主体教育だったとは、三善晃の時代とはずいぶん最初は異なっていたのか、それともこちらが知らないだけでやはり演奏主体なのか、ちょっと興味深い。
60年安保のときに所要で休講したら、学長(芸大)に呼ばれて国会議事堂前のデモに参加していたろうと怒られたというエピソードが語られ、どこからそういうデマが飛んだのか考えてみると、芸大閥と東大閥の確執に巻き込まれた(というか、読む限り東大卒の人たちは何も考えていないようだが)ようだとか、いろいろ大学勤めにうんざりしてくる様子も描かれる。事務仕事も煩雑で、どうして画を書く余裕がある美術系と違って音楽系はこうも冷遇されているのかといったような記述があり、結局退官して在野の作曲家になる経緯は、ちょうど敗戦時の解放感に似た印象を受ける。
トランソニックの話は孤立した活動を続けていたから誘われてうれしかったと書いている。そうなのだろう。
中村絋子や高橋悠治、小澤征爾のエピソードがちょっと入るが、いずれも良いものだ。
16章から冒頭の音楽史観の形成についてになるが、驚いたのは、どう考えてももっとも至極なのに、孤立していたらしいことだ。
音楽教育が偏ってしまったこと(明治に欧州から教育制度を移入するにあたって、音楽だけは除外したことから始まる日本での音楽教育の変遷も本書の柱の1つだが)が、人類の社会の歴史と、その中での文化の変遷という当たり前な考え方を欠落した人たちを作っているかのようだ。
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