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元々、子供が貸してくれたミュージカルのCD、The Story of My Lifeが発端で、なぜ古本屋の跡をついだ主役の一方(NYに出て作家となった男と、故郷の古本屋を継いだ男の奇妙な友情と反目の物語で、古本屋が自殺したために作家が弔辞のための回想をするわけだが、蝶々が河と語る歌が美しい)は自殺したのかな? とか話しているうちに、古本屋の母親のお気に入りでありミュージカル自体がオマージュしているところの、フランク・キャプラの元の映画を観ないとわからないのではないかということになり、妻のアマゾンプライムで観たのだった。
The Story of My Life (Original Broadway Cast Recording)(Will Chase & Malcolm Gets)
フランク・キャプラはそれほど興味がなかったので、もしかするとまったく観たことがないかも知れないが、普通にまともな映画作家で、ということはすべてのシーンに意味を持たせるスタイルなのでずっと写されるものを観ている必要がある。
主人公のジョージ(ジェームズ・スチュアート)が自殺を考えているというので、神(ヨセフだったかな?)であるところの星が会話している。ジョージを助けるために、翼を持たない天使、つまりは二級天使(今気づいたが、石森章太郎もこの映画を好きなのだろう。というか、石森章太郎の60年代以前の仕事はハリウッド映画の影響をとてつもなく受けている)のクラレンスが派遣されることになる。このシーンはどうやってもギャグにしかならないのは制作年の1946年であっても疑いないところで、キャプラは星のまたたきと台詞だけで片を付ける。
まず、神はクラレンスにジョージの人生を見せる。その人生を元にどうやってジョージに生きる希望を与えるかが宿題だ。
子供時代に雪山から凍った池への橇遊びをしているところが始まる。弟のハリーをせかすと、弟が良いところを見せようと張り切り過ぎて想定以上に橇が滑って行き、氷のないところに落ちてしまう。ジョージがあわてて助けに行く。ナレーションで、ジョージは重い風邪をひき、結果片耳の聴力を失うことになる。聴力を失わせたことによって、その後、後の奥さんからの告白、徴兵を免れたこと、天使が見せる仮想世界との自覚的な区別が導かれるのがおもしろい。
それから数年後、街角を自動車の後部座席に踏ん反り返った禿頭の男についてのナレーションが入る。金の亡者で町の支配者ポッターだ。この男は重要だぞ。一方、中学生になったジョージは薬屋(ドラッグストアなのでドリンクスタンドがある)でアルバイトをしている(中学生がアルバイトと思ったが、1900年代または1910年代だからそんなものなんだな)。スタンドに女の子が腰かけている。後から、ちょっと派手な女の子がやって来てジョージに注文する。最初の女の子はなかなか注文が決まらない。ジョージの聞こえない耳に対して大好きと囁く。
ジョージはレジの上のメモを見る。お子さんが亡くなったという訃報だ。
薬屋の主人の様子を見に行くと明らかに取り乱しながら薬を包んでいる。瓶にはPOISONと書いてある。薬屋は、包みを届けるように指示する。
毒はおかしいが、主人の気が動転しているのは映像から了解される。当然、ジョージは言い出せない。ふと壁を見ると困ったときはパパに相談! というポスターが目に入る。あわててジョージは店を飛び出し、住宅金融会社に飛び込み、今は重要な会議中だと言って止める社員を振り払い(ここで、社長の息子なんだなとわかる)部屋に入ると、銀行家との融資の相談中で、しかもあまり良い具合に話は進んでいない。貧乏人を相手の貧乏商売に貸す金はないとか無茶苦茶言われているのでジョージはつい怒鳴り返すが、薬の相談はできない。
薬屋に帰ると、なぜ薬を届けない? と苦情の電話を受けた店主が怒っている。殴られる。ジョージは、お子さんを失って混乱されているから言い出せなかったのだが、この薬は間違えのはずだ。確認してください、と言う。薬屋はそれが毒だと認め感謝する。
それから10年、というように説明の重要な部分はすべて映像(二人の女の子とジョージの関係、特にPOISONの箇所(なぜ父親の会社へ行くのかから父親の仕事とポッターとの関係などが芋ずる的に導出される)、子供の訃報などなど)で行われながら、物語は進み、言葉による説明では墓場の跡を安く買って住宅金融社の宅地販売などを行ったことなどが語られる。
ジョージの夢は大学に行って技術を学び全世界をまたにかけて巨大建築(ビルとか橋とか)を作っていくことなのだ。
が、父親が急死する。父親の会社は住宅金融会社で、貧乏人も家を持つべきで、ポッターの貸家にバカ高い家賃を払い続けても家を買うことはできないし、最後は追い出されて野垂れ死にしかできないのだから、低額融資で先に住宅を買うのがあるべきだろうという信念の会社である。安定した生活基盤があっての人生ではないか。そこがポッターの新自由主義的ということはなく、普通の資本家の考えと合わないところなので、お互いに敵視しているのだった。
映像に語らせるところで、特におおと思うのは、明らかに無能な叔父さん(ジョージ20歳くらいのころに、55歳と言っているから、大恐慌時に60代、第二次世界大戦時に70代のはずだが、無能だというのがわかるのは、ジョージの父親が死んだあと、全株主が、古くからの共同経営者の叔父ではなく、ジョージが跡を継ぐのであれば会社の存続を認めると言い出すからだ)が、ジョージの弟の太平洋での活躍(だと思う。すでにドイツは降伏しているはず)が、8000ドル(大恐慌時に取り付け騒ぎをとりあえずごまかすためかつ金に糸目を付けない新婚旅行の費用として2000ドル、その後に、28歳の社長のジョージの月給が45ドル、銀行の頭取相当の地位の年俸に2万ドル、家作(土地も含むと考えるのが自然)に5000ドル、という説明があるので、おおざっぱに現在の日本円の感覚では10000(8000くらいが正確っぽい)倍すれば良いので、8000万円くらい)の入った封筒を銀行の窓口で預けようとしたときに、ポッターが入って来たので、新聞のハリーが勲章を貰った記事を見せて嫌味を言おうと無造作に行き、新聞を折りたたんで手渡す途中から封筒が手から消えて窓口に戻るときは手ぶらになっているシーンでまるでマジックのようにきれいに封筒を消し去っていることだ(もちろん、新聞の中に紛れ込んでいるわけで、あとからポッターはそれを見つけてこっそり持ち帰る(金ではなく、住宅金融会社に不渡りを出させて倒産させることが目的)一連のシーンだ。
結局、これがほぼ止めとなり、ジョージは1億5千万ドルの生命保険(掛け金は500ドルなのでそのままでは担保価値はない)を選ばざるを得ない。
ここに至るまでの何気ない一連の流れで、叔父さんの手元から封筒が無くなるところ、ポッターが新聞を開くと封筒が出てくるところ、の2点のどちらが欠けてもなぜ8000ドルが消えて大騒ぎになるのかはわからない。しかしわからなくても、叔父さんが無能なのはわかっているので、おそらく何か間抜けなことをして8000ドルを失くしたのだなとはわかるようになっている。全体を見なくてもわかるように映画が作られているのがいかにも40年代のテレビ出現前のハリウッド映画で実にうまい。
妻との関係についても、最初のなかなか注文しない(というか、ジョージのことを見ていたいだけなのだ)登場から、弟の高校卒業パーティでの再会(ここで友人とパートナーシップを組んでいたのを奪う恰好になるため、プールへ落とされ(他の連中がプールに気づいているのに、お互いに夢中で気づかない)、派手なほうの女の子(ドラッグストアで後から来るほう)に裸足で歩き回ったり山を巡ったりすることを散々コケにされたあと(こちらの彼女は後に町を出るときに餞別を渡したお礼に頬にキスされてしまい、ついた口紅を拭うところを行員に見られて、それがポッターに伝わって、さらに苦境に陥ることになるなど、運命的に嫌なことを起こすトリガーとなる役回りでおもしろい)、彼女の家には月を捕まえる絵(プールの後での会話から)を一瞥して放り投げたりするが、友人からの電話(一瞬映る友人側で、実はすでに愛人だかがいることが示されるので略奪にはならないことが示される。事実友情は変わらず苦境を知ると2万5千ドルの融資をしてくる)を受けて結局求愛を受け入れたり、取り付け騒ぎのために新婚旅行用に用意した2000ドルが2ドル残して消えた後の、プール後に願をかけた廃屋での新婚生活やら(元が廃屋なのでいちいち階段の擬宝珠が取れるギャグが最後まで入りまくる)、ジョージが存在しない世界では図書館の司書としてえらく地味な独身中年女性となっていたりとか、うまく構成されている。
子供が学校でもらった花を大切に抱えて帰ってきたために風邪をひいたという話から、落ちた花びらを元に戻すふりをしてポケットに隠した花びらが無いことで自分が不在の世界に入ったこと、あることで元の世界に戻ったことから、教師からの電話に対して八つ当たりしてその結果としてバーで殴られて、そこで出た血が消えたり戻ったり、それを警官に指摘されてあらためて元の世界に戻ったと確認するなどのシナリオ上のエピソードの連鎖、と書いたところで、なるほど、この映画のミソは、あらゆるシーンが連鎖されていて、それがThe Story of My Lifeのテーマの蝶々の羽ばたきそのものだなと気づいた。
ジェームズ・スチュアートが絶望しきって家族の前に立つシーン(左側に強い影、右側に髪の乱れ)はとても印象的で、おおハリウッドの名匠と名優っぽいと感じる。
ジョージの妻役のドナ・リードって全然知らないがきれいな女優だなと思ったら、後で調べたら、おれの子供時代の大好きな映画の1つのベニーグッドマン物語の主演だった。サッチモがトランペットを吹きながらやってくるところは、他のところはほとんど覚えていないが、ときどき夢に聖者がやって来る(と思ったら、それはグレンミラー物語のほうだった)。
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