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新国立劇場でデカローグの9, 10, 7, 8。
9はまたまた浮気の話の艶笑譚。浮気相手の大学生が実にうまい。特にタイミング勝負も良いところの夫妻の母親のアパートに再訪するところは見事で死ぬほど笑った。スキーへ行くところの夫とのすれ違いっぷりも良い。最後は紆余曲折あっても仲直りっぽくて悪くない。
10は物語としては抜群におもしろい。いきなりステージ(アパートではない)で殺せと盗めを連呼するパンクバンドのギグで始まる。歌手が弟でまじめな会社員か役人っぽい兄と待ち合わせて死んだ叔父さんのアパートへ行く。と、他のコンパートメントとは異なり厳重に鍵があり、窓は釘で打ち付けてあり、警報ベルが完備していて鳴りまくると9の妻が何事かと見に来る。切手収集家というものがどういうものかが描かれる。詐欺師の切手売りですら、正しい切手の入手のために多段階取引をまじめにやって見せる(と思う)。
最後、兄弟は切手の収集を始める。最初は、体育、海豹、警察の記念切手で、ここの選択が兄弟同じというのは話作りのうまさだ。
10は死人も怪我人も出ないので、なかなか気分が良い。しかも兄弟の役者が実に良い雰囲気で仲良しだが疎遠、信用しあっているが信じ切ってもいないという関係を実にうまく演じていて観ていて楽しかった。
でかくて一見おっかないが、ご飯をくれるとほいほい尻尾を振ってついていって閉じ込められてしまって、まったく役に立たない犬も良い味だしていた。
7は(と、プログラム構成で順序が前後する)16歳で子供を産んだため、その子供を母親の子供として届けた(=自分は姉ということになる)母親が子供を母親から取り戻すために誘拐し、子供の父親の元に家出する話。父親が子供が自分の子供だと気づいてぬいぐるみで遊んでやったりするのが実に身につまされる。この父親は母子が河に身投げしたと勘違いして(橋の脚にくまのぬいぐるみが忘れられていたせいだ)永遠に河の中を寒いのにうろつくことになり可哀想が過ぎる。一方、母親が助けを求める駅員は実に良いやつで両親をだましてくれるのだが、子供は自分の母親を母親の母親だと完全に信じ切っているので悲劇的な最後の一方、他にどうにも選択の余地がないので母親は家族から解放される。
劇としては実におもしろい。それにしても実に父親が可哀想過ぎる。熊のぬいぐるみは忘れているし、おそらく死んだと思い込んでいるだろうから束の間の再会が単なるぬか喜びになっている。母親の役者が軽はずみで衝動的ないかにも頭が悪い女性を演じきっていてうまかった。その母親がまたいかにも口やかましくそういう子供の親にふさわしい気分の悪い母親を演じきっていて見ていて気分が悪くなるくらいにうまい。役者のうまさでは7が最高ではなかろうか。
8は10で死ぬおじさんが切手を集める話。ヒンデンブルク号の3枚綴り記念切手を入手してそのすばらしさを誰かに話したいのだが、回りに話がわかる人間がいない(10だと、切手協会の会長と、借金させてくれる詐欺師と切手商はいるのだが、友人とまではいかなそうだ)ので、近所のおばさんを捕まえては話す。このおばさんが良い人でまったく興味がないのに話し相手となる。実はこのおばさんは大学教授で、過去、カソリックの入信届のための助けを求めに来たユダヤ人の少女を追い出したことがある。実際は入信のために会うべき夫妻にスパイ容疑があるため、へたに連れて行くと一網打尽となる可能性があるための苦渋の選択なのだった。しかもその事情を話すことは、スパイだと気づいていることを周知させることとなり、それも組織防衛の観点からは無理があり、結局、冷たく突き放すしかなかったわけだ。そのことは棘となって残っている。そこにニューヨークから彼女の著者の翻訳者でもある女性が訪れる。実はその女性こそがかって追い出したユダヤ人の少女だったのであった。彼女は嘘をカソリック信仰に関するものだと考えていたのだが、実際には組織防衛のためのものだったというように重層的に組まれている。
と、内容が凝っているうえに、かって助けを求めにいったアパートがスラム化した町にあるために危険地域となっていたり、授業風景で2の話が出たりと盛りだくさんで上演順としては最後になるのにふさわしいかも知れない。が、おそろしいことにたかだか1週間で、結末(当然二人の和解だと思うのだが)を完全に忘れている。
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