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タビアーニ弟の『遺灰は語る』がWOWWOWで7/31まで観れるから観ようと妻が言うので観た。
すごくおもしろくて(ちょっと舐めていたので映画館にも行かなかった)衝撃を受けた。
それまでも佳作を作りまくっていた作家が、唐突にキャッチーな作品で大人気を獲得し、しかしそれは大して続かず元の佳作家に戻るというのがある。たとえば侯孝賢が往年童時や風櫃の少年といった凄い作品を撮りまくって、突然悲情城市がヒットする。その後も素晴らしい作品(たとえばマンボのやつとかコーヒーのやつとか)を撮り続けているみたいなもので、タビアーニ兄弟で言うとグッドモーニングバビロンが悲情城市にあたる。が、その後はあまり配給されなかったし、実際、最後に映画館で観たのはフィオーレだと思うがあまり印象にない。
というわけで、わざわざ映画館へ行くまでもないだろうとスルーしたのだが、愚かだった。とてつもなくおもしろい。
物語はどうでも良くて、イタリアの20年代だか30年代だかにノーベル文学賞を取った作家が30年代に死に、遺言で遺灰は散らばして何も残すな、でもそれが無理なら故郷シチリアの岩の中へ埋めろと残す。
が、時はファシズム時代で(ノーベル賞は大して問題ではなかったようだが)立派な文学者として遺灰はローマに置かれる。しかし戦後になってシチリアへの返還運動(?)が起こり、市長が遺灰を受け取りにローマを訪れる。最初米軍機でシチリアへ行こうとするが乗客たちが死者と飛行機に乗るのはごめんだと降りてしまいパイロットの米軍大尉も飛行を拒否する。しょうがないので市長は列車で港町まで進む。
最後、遺灰は3年(30年かも)がかりで海を見下ろす丘の上の巨岩にくり抜いた孔へ納められる。
おまけに短編として作家の書いた劇が流れる。
が、素晴らしいのは一息一息が映画として流れる映画そのものだった。物語は絶妙な間を取ることで微小とともにシーンを飽きさせることなく繋げていく。
火葬場の炎の赤、遺灰を撒く海の青(実際はそのシーン丸ごとだが)を除けば白黒。おまけの短編はカラー。死には色があり、生には色が無い。間による滑稽(飛行機の客、バルコニーの市民たち、カード台の発見)、戸口では子供、近づくと現在、ファシスト協力者の銃殺、アメリカ人のジープとイタリア人の自転車(農村は食べ物が十二分にあるからか、似たような構図でもギミーチョコレートの国とは全然違うな)、唐突に挟まるドイツ人との情交、海辺で遊ぶ子供たち、犬の後脚を持って遊ぶ子供、レストランオープン時の幸福そうな笑顔、母の妻の肖像画を見る、食事風景、公園、野良犬、後ろ脚を持って遊ぶ、赤毛の頭に振り落とされる釘、枝の先に結わえられた白いハンカチ。
犬との遊びの時系列から女の子の喧嘩を両親の息子の奪い合いと重ねているとしたら、釘は少年自身か少年の意志かのいずれかだ。赤毛が父親か母親かどちらなのかが、定めとは何かの答えだ。
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